奥直子
奥直子が目指すのは、エンターテイメントとしてのやきものである。
奥は、やきものが「用の美」という観点から発展してきた中で、エンターテイメント性を引き出すアプローチを選ぶことで、作品が持つ物語を引き出そうとしている。
彼女が着目しているのは、やきものが本質的に持つ「空洞」。“モノでありながら空洞である”というやきものの特性に魅了されている。
この空間の使い方を通じて表現を模索しているが、なぜこの空洞がエンターテイメントにつながるのか。
やきものの性質は、空洞性(空洞や虚の状態)なしでは成立しない。この特性こそが、やきものでモノをつくる動機でもある。
彼女の作品のすべてにはこの「空洞」があり、生物を模した特異なフォルムの内側には色鮮やかな釉薬が施されている。
外と内の表現の「間」には、私たちが異なるストーリーや感情を感じさせる余地が与えられているのだ。
なぜエンターテイメントなやきものを表現するためにこの「間」が重要なのか。それは、道具や物体としての展示が単なる「モノ」としての存在に留まってしまい、物語や世界観を見出すことが難しいからである。
モノがホワイトキューブの中に展示されているだけでは、それが何を伝えたいのか見出せない。
そこで、モノが本来持つ穴や空洞を見せることによって、やきものが人々の心を動かすエンターテイメントとして見えてくる。
それが奥の作品の見どころである。
世の中は善悪や内外といった二項対立の概念が支配しているが、「空洞」という概念はそれを超える可能性を持っている。西洋においては善悪等がはっきりとしているのに対し、東洋ではその曖昧さや不完全性に美を見出してきた。
それゆえ、建築においても空間の仕切りが曖昧であり、境界線が明確でない。伝統芸能の能においても、鼓の音の間に意図的な沈黙を表現することで、音の変化やつながりを感じることができる。
「間」の美しさを際立たせ、人々に何かを感じさせる。東洋の美の価値観はこのようにして育まれてきた。
このように、やきものに内在する「空洞」は、まさにこの「間」として機能し、曖昧さから物語を紡ぎ出す力を持つ。
奥直子が探索し続ける工芸の未来形、そしてやきものを笑いあり涙ありのエンターテイメントとして魅せることが、彼女の目指すところのやきものであり、それが彼女の作品が多くの心に響く理由なのだ。
B-OWND
奥直子が目指すのは、エンターテイメントとしてのやきものである。
奥は、やきものが「用の美」という観点から発展してきた中で、エンターテイメント性を引き出すアプローチを選ぶことで、作品が持つ物語を引き出そうとしている。
彼女が着目しているのは、やきものが本質的に持つ「空洞」。“モノでありながら空洞である”というやきものの特性に魅了されている。
この空間の使い方を通じて表現を模索しているが、なぜこの空洞がエンターテイメントにつながるのか。
やきものの性質は、空洞性(空洞や虚の状態)なしでは成立しない。この特性こそが、やきものでモノをつくる動機でもある。
彼女の作品のすべてにはこの「空洞」があり、生物を模した特異なフォルムの内側には色鮮やかな釉薬が施されている。
外と内の表現の「間」には、私たちが異なるストーリーや感情を感じさせる余地が与えられているのだ。
なぜエンターテイメントなやきものを表現するためにこの「間」が重要なのか。それは、道具や物体としての展示が単なる「モノ」としての存在に留まってしまい、物語や世界観を見出すことが難しいからである。
モノがホワイトキューブの中に展示されているだけでは、それが何を伝えたいのか見出せない。
そこで、モノが本来持つ穴や空洞を見せることによって、やきものが人々の心を動かすエンターテイメントとして見えてくる。
それが奥の作品の見どころである。
世の中は善悪や内外といった二項対立の概念が支配しているが、「空洞」という概念はそれを超える可能性を持っている。西洋においては善悪等がはっきりとしているのに対し、東洋ではその曖昧さや不完全性に美を見出してきた。
それゆえ、建築においても空間の仕切りが曖昧であり、境界線が明確でない。伝統芸能の能においても、鼓の音の間に意図的な沈黙を表現することで、音の変化やつながりを感じることができる。
「間」の美しさを際立たせ、人々に何かを感じさせる。東洋の美の価値観はこのようにして育まれてきた。
このように、やきものに内在する「空洞」は、まさにこの「間」として機能し、曖昧さから物語を紡ぎ出す力を持つ。
奥直子が探索し続ける工芸の未来形、そしてやきものを笑いあり涙ありのエンターテイメントとして魅せることが、彼女の目指すところのやきものであり、それが彼女の作品が多くの心に響く理由なのだ。
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