ノグチミエコ
なんの変哲もない日常の風景から神秘的な要素を見出し、再現する。それは鋭敏な感性の成せる芸術家の技である。移ろいゆく空模様、馳せては消えゆく波跡、奇妙な姿の生き物たち。何千何万キロと離れたところにある宇宙の世界もまた、頭では計れない超越的な美しさをもっている。ノグチの瞳に映るのは、それらすべての間に貫かれた万物の源ともいうべき法則であり、それが紡いできた偉大な軌跡が彼女の心象に物語として映り込むのである。
これまで人類が、神秘という名の元に覆い隠してきたものたちに迫るツールとしてきたもの、 それがアートであり、サイエンスである。世界の神秘を解明しようとした魂の結晶が今日のサイエンスを生み出した。「アルケー」発見によりギリシャから始まった神秘解明の旅は中世の時代で「錬金術師(アルケミスト)」に引き継がれ、彼らの世界を5大元素「地・水・火・風・空」に分解する姿勢が 近代サイエンスの幕開けへとつながった。一方、アートは日常の中にも非凡性を見出して、 その発見を伝達することのできる表現を探究してきた。アートという言葉が存在していない時代、世界最古の洞窟壁画ラスコーはまさにアートの一例である。この二つの異なる神秘探究の姿勢は、芸術家にとって創造の源であるように思われる。
その扱いの困難性から、ガラスの史実はアートに接近しては遠ざけられてきた。ノグチは再び接近を試みる。「ガラスアート」が単に「アート」と呼ばれるように。ガラスはそれ自体、神秘的な素材である。その透明性ゆえに、物質にも関わらず、光は自在に通り抜け、ねじ曲がる。1400℃という超高温とその冷却の過程で形を帯びてゆく姿は、 宇宙空間に無数の星を誕生させたビックバンを連想させる。ビックバンもまた超高温の冷却の過程に創造力を育んだのである。その透明性と固体性に空気や水、空間といった非物体的存在のオブジェ化が図れる。そこには新たな芸術表現の可能性を秘めた素材としてのガラスの価値が窺えよう。ノグチのアートが一貫してきたのもこの空間のオブジェ化なのである。
常識という虚構に囚われて社会に飼い慣らされてしまえば、世界は神秘を失って映るだろう。しかし、当たり前がひとつとして存在しない世界を現に見つめるアーティストによって、 我々もまたその世界を知り、見ることができる。ノグチの芸術はその道を我々に示してくれる。
B-OWND
なんの変哲もない日常の風景から神秘的な要素を見出し、再現する。それは鋭敏な感性の成せる芸術家の技である。移ろいゆく空模様、馳せては消えゆく波跡、奇妙な姿の生き物たち。何千何万キロと離れたところにある宇宙の世界もまた、頭では計れない超越的な美しさをもっている。ノグチの瞳に映るのは、それらすべての間に貫かれた万物の源ともいうべき法則であり、それが紡いできた偉大な軌跡が彼女の心象に物語として映り込むのである。
これまで人類が、神秘という名の元に覆い隠してきたものたちに迫るツールとしてきたもの、 それがアートであり、サイエンスである。世界の神秘を解明しようとした魂の結晶が今日のサイエンスを生み出した。「アルケー」発見によりギリシャから始まった神秘解明の旅は中世の時代で「錬金術師(アルケミスト)」に引き継がれ、彼らの世界を5大元素「地・水・火・風・空」に分解する姿勢が 近代サイエンスの幕開けへとつながった。一方、アートは日常の中にも非凡性を見出して、 その発見を伝達することのできる表現を探究してきた。アートという言葉が存在していない時代、世界最古の洞窟壁画ラスコーはまさにアートの一例である。この二つの異なる神秘探究の姿勢は、芸術家にとって創造の源であるように思われる。
その扱いの困難性から、ガラスの史実はアートに接近しては遠ざけられてきた。ノグチは再び接近を試みる。「ガラスアート」が単に「アート」と呼ばれるように。ガラスはそれ自体、神秘的な素材である。その透明性ゆえに、物質にも関わらず、光は自在に通り抜け、ねじ曲がる。1400℃という超高温とその冷却の過程で形を帯びてゆく姿は、 宇宙空間に無数の星を誕生させたビックバンを連想させる。ビックバンもまた超高温の冷却の過程に創造力を育んだのである。その透明性と固体性に空気や水、空間といった非物体的存在のオブジェ化が図れる。そこには新たな芸術表現の可能性を秘めた素材としてのガラスの価値が窺えよう。ノグチのアートが一貫してきたのもこの空間のオブジェ化なのである。
常識という虚構に囚われて社会に飼い慣らされてしまえば、世界は神秘を失って映るだろう。しかし、当たり前がひとつとして存在しない世界を現に見つめるアーティストによって、 我々もまたその世界を知り、見ることができる。ノグチの芸術はその道を我々に示してくれる。
B-OWND
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