中臣 一
その形と色は、私たちを予祝する。
繰り返されるモチーフのつながりが、伸びやかなフォルムを形づくる。一筋の竹の直線はやがて曲線を描き、曲線はまた直線となる。出会っては離れ、離れてはふたたび交差する。異なるダイレクションを志向した直線と直線は、いく筋かの後に再びめぐり合う。Frill(フリル)、8祝ぐ(はちほぐ)、Prism(プリズム)などの作品に見られるリズミカルな繰り返しは、連続する生の連なりや、生と生の呼応を想起させる。造形を透過して出現する柔らかな光や、作品の足元に落とされた繊細な影もまた、作品の一部となっていく。作品そのものと、それが作り出す清らかであたたかな空気感は、わたしたちを予祝する。
リズミカルに延伸するモチーフと、それが構成するのびやかな造形、そして繰り出される鮮やかな色。それらは、ちょうど午睡から目覚め、四肢を広げて伸びをしたときの満ち足りた心持ちを想起させる。ほとばしる熱情、情動の奔流がみせる表現の魅力とはまた別の、静穏でどこか理知的、しかし密かな生命の躍動とその喜びが、作品のそこかしこから放たれている。
竹は制約の多い素材である。ひごは細すぎても太すぎても用をなさない。粘土や金属のような可塑性の高さも持ち合わせていない。だからこそ。製作の過程で立ち止まり、そのときどきに立ち現れる景色を見、竹の声を聞く。それによって予想外の展望が開かれてくる。たとえば「笑口竹花入」のように、小槌ですべてきれいに落とすはずだった竹の節も、笑った口のように見えた落とし口のままに、作品に生かされる。
繰り返される竹とのダイアローグが、作風の広がりに連続する。そうして、中臣は自在に竹と遊び、その喜びを持って制約を軽々と超えてみせる。
中臣は大阪に生を受け、東京の名門大学に進み、商学部で学んでいる。学生時代から工芸の世界に心惹かれ陶芸家を志す一方で、自分に合った新たな素材を模索するなか、竹との出会いが訪れる。生野祥雲斎の作品との邂逅。竹工芸の展示会で知った大分県立竹工芸訓練センターの存在。師となる本田聖流、そして、竹田の地に得た製作の場と仲間たちとの出会い。煎茶道を嗜むなかで知った文人・田能村竹田の生涯の地が竹田であることもまた、つながりの妙を感じさせる。こうして、竹との間のいくつもの偶然の重なりが、今日、中臣をその世界に至らしめている。
今ここにあることを、「中臣は必然であり宿命」と表現する。それは、数々の偶然を受け止めその偶然の意味するところにしなやかに自身を沿わせてきた中臣と、竹、そして竹工芸を取り巻く世界との連続する呼応の結果である。必然を愛おしみ、宿命に育てる。そして今、ここに立つ。
奥豊後、竹田の地から清爽な風が吹いてくる。その風は、竹林を吹き渡る清らかな風のごとく、わたしたちに健やかな心もちと生の喜びをもたらし、一日一日と紡がれていく日々を予祝する。
竹藝家・中臣一。豊穣な自然と長きにわたる竹の文化を背景に、伝統に根ざしながら、そのフレームを鮮やかに跳躍する。
B-OWND
その形と色は、私たちを予祝する。
繰り返されるモチーフのつながりが、伸びやかなフォルムを形づくる。一筋の竹の直線はやがて曲線を描き、曲線はまた直線となる。出会っては離れ、離れてはふたたび交差する。異なるダイレクションを志向した直線と直線は、いく筋かの後に再びめぐり合う。Frill(フリル)、8祝ぐ(はちほぐ)、Prism(プリズム)などの作品に見られるリズミカルな繰り返しは、連続する生の連なりや、生と生の呼応を想起させる。造形を透過して出現する柔らかな光や、作品の足元に落とされた繊細な影もまた、作品の一部となっていく。作品そのものと、それが作り出す清らかであたたかな空気感は、わたしたちを予祝する。
リズミカルに延伸するモチーフと、それが構成するのびやかな造形、そして繰り出される鮮やかな色。それらは、ちょうど午睡から目覚め、四肢を広げて伸びをしたときの満ち足りた心持ちを想起させる。ほとばしる熱情、情動の奔流がみせる表現の魅力とはまた別の、静穏でどこか理知的、しかし密かな生命の躍動とその喜びが、作品のそこかしこから放たれている。
竹は制約の多い素材である。ひごは細すぎても太すぎても用をなさない。粘土や金属のような可塑性の高さも持ち合わせていない。だからこそ。製作の過程で立ち止まり、そのときどきに立ち現れる景色を見、竹の声を聞く。それによって予想外の展望が開かれてくる。たとえば「笑口竹花入」のように、小槌ですべてきれいに落とすはずだった竹の節も、笑った口のように見えた落とし口のままに、作品に生かされる。
繰り返される竹とのダイアローグが、作風の広がりに連続する。そうして、中臣は自在に竹と遊び、その喜びを持って制約を軽々と超えてみせる。
中臣は大阪に生を受け、東京の名門大学に進み、商学部で学んでいる。学生時代から工芸の世界に心惹かれ陶芸家を志す一方で、自分に合った新たな素材を模索するなか、竹との出会いが訪れる。生野祥雲斎の作品との邂逅。竹工芸の展示会で知った大分県立竹工芸訓練センターの存在。師となる本田聖流、そして、竹田の地に得た製作の場と仲間たちとの出会い。煎茶道を嗜むなかで知った文人・田能村竹田の生涯の地が竹田であることもまた、つながりの妙を感じさせる。こうして、竹との間のいくつもの偶然の重なりが、今日、中臣をその世界に至らしめている。
今ここにあることを、「中臣は必然であり宿命」と表現する。それは、数々の偶然を受け止めその偶然の意味するところにしなやかに自身を沿わせてきた中臣と、竹、そして竹工芸を取り巻く世界との連続する呼応の結果である。必然を愛おしみ、宿命に育てる。そして今、ここに立つ。
奥豊後、竹田の地から清爽な風が吹いてくる。その風は、竹林を吹き渡る清らかな風のごとく、わたしたちに健やかな心もちと生の喜びをもたらし、一日一日と紡がれていく日々を予祝する。
竹藝家・中臣一。豊穣な自然と長きにわたる竹の文化を背景に、伝統に根ざしながら、そのフレームを鮮やかに跳躍する。
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