松林豊斎
瑞々しく淡いガラス質のブルー、あたたかな緋色の粗土、そして白化粧の清らかな白色。茶盌(ちゃわん)の上に繰り広げられる協演は、見る人にこの上なく明朗で清開、洗練された印象を与える。
究極のバランス。朝日焼十六世松林豊斎が世に繰り出す茶盌は、それらのバランスが生み出す明るい美しさに満ちている。
茶盌を愛で、茶の香を楽しみ、温かな蒸気を肌で感じるとき、人は、身体の全知覚を使って世界を捉える。すべては茶盌のなかにある。十六世は、そう語る。
掌に包み込んだ茶盌を口元に運んだ瞬間から、自分の掌で包み込んだはずの茶盌に、人はすべてを包み込まれる。茶盌は深遠なる宇宙である。
朝日焼は江戸初期に活躍した茶人、小堀遠州好みとして知られる、茶陶の名家である。代々の作陶に通底するのは「綺麗寂び(きれいさび)」。「綺麗寂び」とは小堀遠州の茶風を表現することばで、枯れた風情や渋みなどをよしとする「寂」のなかにも、華やかさや優美さのある趣、風情をさす。
十六世松林豊斎の作品がみせる、月白釉の淡いブルーは「綺麗」を、粗土が「寂」を象徴し、その間を白化粧がつなぐ。朝日焼の精神ともいえる「綺麗」と「寂」のコントラストと調和の妙に、白化粧が加わることで、あたかも現代という風が吹き込まれるかのようだ。あるいは、瑞々(みずみず)しいブルーと落ち着いたグレーの組合せ。その対比と均衡がつくる景色は、伝統的でもあり、トランスナショナルでもある。
十四世が青磁の写しに、と使い始め、十六世が大きく取り上げ、発展させた朝日焼のブルー。十六世のこのブルーは、時代が求めたものであり、朝日焼の「進取の気性」ともいうべき先進性、時代性を象徴している。
朝日山の麓、宇治川のほとり。平等院鳳凰堂の金色の鳳凰を臨める場所に、朝日焼の工房はある。その昔、平安の貴族たちの別荘地として選ばれた宇治は、雅さのなかに、柔らかさとほんの少々の素朴さを感じさせる、心落ち着ける地である。
歴代の当主や陶人たちもまた、この宇治川の流れを聞き、穏やかな風を感じ、朝には朝日山から登る陽を迎え、夕には平等院の向こうにそれを送ったに違いない。
こうして四百年もの間、同じ宇治の土を使い、同じ構えでそれを扱い、同じ作法で窯の無事を神に祈り、時代時代の銘品を生みだしてきた。明朗で清開、誰もが美しいと素直に思えるものづくり。朝日焼の朝日焼たる所以は、この土地とそこに生きた人々の、連綿と続いてきた営為の重なりにある。十六世松林豊斎もまた、その上に、時を刻んでいる。そして、その茶盌を選び取るとき、わたしたちもまた、朝日焼のものづくりの重なりに参加する。
「土の美しさを引き出すのが自身の役割」と語る十六世は、すべてを尽くした上で、最終的にはその作品を土に委ね、火に委ね、使う人に委ねる。鮮烈な自己表現とは対極の、柔らかな共創の姿である。それは宇治の風景のように穏やかで優美だ。
代々の「綺麗寂び」の精神を通奏低音として奏でながら、そのときどきの時代性を合わせてきた朝日焼。十六世のブルーもまた、来たる時代には別の何かに置き変わっていくのかもしれない。しかし、その思想は永遠である。
B-OWND
瑞々しく淡いガラス質のブルー、あたたかな緋色の粗土、そして白化粧の清らかな白色。茶盌(ちゃわん)の上に繰り広げられる協演は、見る人にこの上なく明朗で清開、洗練された印象を与える。
究極のバランス。朝日焼十六世松林豊斎が世に繰り出す茶盌は、それらのバランスが生み出す明るい美しさに満ちている。
茶盌を愛で、茶の香を楽しみ、温かな蒸気を肌で感じるとき、人は、身体の全知覚を使って世界を捉える。すべては茶盌のなかにある。十六世は、そう語る。
掌に包み込んだ茶盌を口元に運んだ瞬間から、自分の掌で包み込んだはずの茶盌に、人はすべてを包み込まれる。茶盌は深遠なる宇宙である。
朝日焼は江戸初期に活躍した茶人、小堀遠州好みとして知られる、茶陶の名家である。代々の作陶に通底するのは「綺麗寂び(きれいさび)」。「綺麗寂び」とは小堀遠州の茶風を表現することばで、枯れた風情や渋みなどをよしとする「寂」のなかにも、華やかさや優美さのある趣、風情をさす。
十六世松林豊斎の作品がみせる、月白釉の淡いブルーは「綺麗」を、粗土が「寂」を象徴し、その間を白化粧がつなぐ。朝日焼の精神ともいえる「綺麗」と「寂」のコントラストと調和の妙に、白化粧が加わることで、あたかも現代という風が吹き込まれるかのようだ。あるいは、瑞々(みずみず)しいブルーと落ち着いたグレーの組合せ。その対比と均衡がつくる景色は、伝統的でもあり、トランスナショナルでもある。
十四世が青磁の写しに、と使い始め、十六世が大きく取り上げ、発展させた朝日焼のブルー。十六世のこのブルーは、時代が求めたものであり、朝日焼の「進取の気性」ともいうべき先進性、時代性を象徴している。
朝日山の麓、宇治川のほとり。平等院鳳凰堂の金色の鳳凰を臨める場所に、朝日焼の工房はある。その昔、平安の貴族たちの別荘地として選ばれた宇治は、雅さのなかに、柔らかさとほんの少々の素朴さを感じさせる、心落ち着ける地である。
歴代の当主や陶人たちもまた、この宇治川の流れを聞き、穏やかな風を感じ、朝には朝日山から登る陽を迎え、夕には平等院の向こうにそれを送ったに違いない。
こうして四百年もの間、同じ宇治の土を使い、同じ構えでそれを扱い、同じ作法で窯の無事を神に祈り、時代時代の銘品を生みだしてきた。明朗で清開、誰もが美しいと素直に思えるものづくり。朝日焼の朝日焼たる所以は、この土地とそこに生きた人々の、連綿と続いてきた営為の重なりにある。十六世松林豊斎もまた、その上に、時を刻んでいる。そして、その茶盌を選び取るとき、わたしたちもまた、朝日焼のものづくりの重なりに参加する。
「土の美しさを引き出すのが自身の役割」と語る十六世は、すべてを尽くした上で、最終的にはその作品を土に委ね、火に委ね、使う人に委ねる。鮮烈な自己表現とは対極の、柔らかな共創の姿である。それは宇治の風景のように穏やかで優美だ。
代々の「綺麗寂び」の精神を通奏低音として奏でながら、そのときどきの時代性を合わせてきた朝日焼。十六世のブルーもまた、来たる時代には別の何かに置き変わっていくのかもしれない。しかし、その思想は永遠である。
B-OWND